さんでーさん (8ecvxqpj)2022/8/31 00:09 (No.522238)削除★台風11号★
台風11号は当初九州方面に進んでいるように見えましたが、西寄りに進路を変え沖縄東海上から宮古島の南海上で90度北へ転進、しっかり宮古島を直撃しかねない予測が出ています。 気象庁予測は宮古島の東側を北上ですが、米軍予測はほぼ直撃といってよいコースを示しています。いずれも似たような進路予想ですのでそのままいくとかなりの影響は避けられないようで今後の進路に要注意です。
食パンが切れてたので買いに出ましたらサンエー3店舗、MAX VALUE、ファミマ数店舗のいずれも品切れ。レンジでチンするご飯やラーメンなどもごっそり無くなっていました。 う~む、 最近のミヤークピトゥは結構出足が早い。
昔はもっと変態なコースをたどった台風もありました。
**** どうしても宮古島に挨拶したかった台風 **** 昭和47年(1972年)台風7号 Rita。経路は添付画像参照。
7/7 フィリピン東方海上で発生、一旦北上、その後西に転進し奄美大島・名瀬をかすめた後に更に南へ進路変更。楕円を描きながら宮古島まで南下して島を回り込みながら保良沖で反転して島の東から北東へコースを取りケラマを直撃して沖縄本島西を北上しその後韓国へ。
計測史上最長の19日の寿命を記録。 この時は日本南海上に4つの台風が存在しその影響で梅雨前線が刺激されて大雨となり本土では400人以上が死亡。 南西諸島では1週間以上も7号の暴風域に入り、船瓶が長期間欠航し、食品や日用品等が不足する等深刻な事態になった。
当時私は首里にいたが本島での被害状況はあまり覚えていない。 バスが運休となり強まる風雨の中を(暴風域ではなかった)識名近辺から首里・池端まで歩いて帰った。
その他の迷走台風 下記wiki参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/複雑な動きをする台風
宮古島に甚大な被害をもたらした台風のまとめ
昭和34年(1959年)9月 台風14号 Sarah(宮古島台風) 瞬間最大風速64.8m/sec 14,360棟損壊 死者0
昭和41年(1966年)9月 台風18号 Cora (第2宮古島台風) 瞬間最大風速85.3m/sec(観測史上1位)、7,765棟倒壊
昭和43年(1968年)9月 台風18号 Della (第3宮古島台風) 瞬間最大風速74.1m/sec 5,715棟倒壊 死者11名
平成15年(2003年)9月 台風14号 Maemi こちらは記憶に新しいが、全世帯の96%に当たる 2万900世帯で停電となり復旧にもかなりの日数がかかりライフラインへ被害も甚大であったが、台風名として「宮古島」はついておらず台風名「マエミー」よりも「台風14号」で通っている。ガラス片による死者1名。自衛隊野原基地観測で参考記録ではあるが瞬間最大風速86.6m/secを記録。公認記録ではないが前出のコラ台風を上回る瞬間最大風速である。
宮古島台風から第3宮古島台風までは古い世代にとっては、サラ、コラ、デラ の名称の方がピンとくる。
サラ台風の時は、台風の目に入って風雨がおさまっている間に切れた電線があちこち垂れ下がる中を「目はどこにあるかな~、どんな目かな~」と暗くどんよりした空を見上げながら近くのオリタ商店に避難した。台風時の隣近所での助け合いは当然のように行われてはいたが、商品が並ぶ店舗内に近隣の避難民を受け入れてくれていたオリタさんはたいしたものだと思う。もしかしたら他の百貨店でも同様だったのかもしれない。サラ台風は瞬間最大風速こそ64.8mだが最低気圧は908.1hPaで当時としては史上最低気圧(その後1977年に沖永良部台風で907.3hPaを記録)で暴風域も広かった。当時は木造家屋がほとんどだったこともありwikiによれば住屋の7割が倒壊となっている。各学校でも校舎倒壊が多く、平一小の木造校舎もあらかた倒壊したのではないかと思う。教室が足りなくて午前・午後の2分授業となったが、私は低学年だったので午前中の授業は普段とさほど変わらなかった。 なお、この台風では韓国で948名の死者・行方不明者で出ている。
台風11号 30日1800現在 米軍予測 台風11号 30日0600現在 米軍予測 昭和47年 迷走台風7号の経路